フィクフの編纂
Compilation Of Fiqh
正統カリフ時代(西暦632年〜661年)には、サハーバ(教友)が下したファトワー(法的裁定)を編纂する作業は行われなかった。イスラム国家は急速に拡大しており、あらゆることが流動的な状態にあった。ハディースの伝承という営みもちょうど始まったばかりであり、国家の中核を担った初期のムスリムたちは、若いイスラム共同体を導くという大きな任務に着手したばかりであった。したがって、サハーバたちが持っていた様々な裁定や見解を編纂するための時間も機会もなかった。さらに、サハーバ自身も、自らのイジュティハード(独自の法的努力)の成果を、ムスリム全体を拘束する誤りなき真理とは見なさず、あくまでも自分たちの特定の時代や状況に当てはまる見解にすぎないと考える傾向があった。
During The Period Of Four Righteous Caliphs (632-661 CE) There Was No Compilation Of The Fatwaas (legal Rulings) Which Had Been Made By The Sahaabah. The Muslim State Was Rapidly Expanding And Everything Was In A State Of Flux. The Practice Of Narration Of Hadeeth Had Just Started And The Early Band Of Muslims Who Formed The Core Of The State Had Just Begun The Awesome Task Of Guiding The Young Muslim Nation. Thus, There Was Neither The Time Nor Opportunity For Undertaking A Compilation Of The Various Rulings And Opinions Held By The Sahaabah. Furthermore, The Sahaabah Themselves Tended To View Their Efforts At Ijtihaad Not As Infallible Truth Binding On The Entire Muslim Nation, But Merely As Opinions Applicable To Their Particular Time And Situation.
ウマイヤ朝の時代に、法的判断(ルール)を編纂する最初の試みが行われた。この時代に統治体制がカリフ制から君主制へと変わるにつれ、サハーバ(教友)の判断に反する判断がますます下されるようになった。さまざまなイスラーム学の中心地でサハーバのもとで学んだ人々は、もし先人の判断を保存するための組織的な努力がなされなければ、後の世代のムスリムがサハーバの貢献から益を得られなくなることに気づいた。こうして、ヒジャーズの初期の学者たちは、アブドゥッラー・イブン・アッバース、アブドゥッラー・イブン・ウマル、そしてアーイシャ・ビント・アビー・バクルのファトワーを集めた。同様に、イラクの学者たちはアブドゥッラー・イブン・マスウードとアリー・イブン・アビー・ターリブの判断を集めた。残念ながら、これら初期の編纂物はいずれも原形のままは残っていない。今では、後の世代の学者たちの書物にそれらへの言及がなされていることによってのみ知られている。しかし、元の編纂物に含まれていた判断の多くは、ハディースの書物、歴史書、そして後世のフィクフの書物における伝承という形で保存されている。